どんな状況でも、絶対にあきらめるな/電通 アートディレクター 川腰和徳さんの〈クリ活〉

どんな状況でも、絶対にあきらめるな/電通 アートディレクター 川腰和徳さんの〈クリ活〉

現在好評発売中の『クリ活2 クリエイターの就活本~アートディレクション・デザイン編』。今回はその紙面から、電通でクリエイティブディレクター/アートディレクターを務める、川腰和徳さんのインタビュー内容を掲載します。2019年にクリエイター・オブ・ザ・イヤーを受賞した川腰さんはどのような学生生活を過ごしたのでしょうか。お話を伺いました。(マスナビ編集部)

写真:川腰和徳さん
川腰和徳さん電通 クリエイティブディレクター/アートディレクター
1979年鳥取県生まれ。2007年多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業、同年電通に入社。アートディレクションを軸としたブランディングを専門に「人を動かす」キャンペーンや「売れるモノづくり」を数多く手がける。主な受賞歴には、2019クリエイター・オブ・ザ・イヤー、ニューヨークADC賞金賞、One Show 金賞、D&AD賞イエローペンシル、アジア太平洋広告祭グランプリ、ACC賞グランプリ、東京ADC賞、JAGDA賞、朝日広告賞グランプリなど他多数。
【 目次 】
大学に合格できず5浪。それでもあきらめなかった
誰も登らない山こそ、登る価値がある
若い人こそ、賞を目指せ
アートディレクターに求められる、制球力
どんなに苦しくても、絶対にあきらめるな

大学に合格できず5浪。それでもあきらめなかった

私は多摩美術大学に入学したのですが、合格するまで、5浪したんですよ(苦笑)。地元は鳥取県なのですが、当時住んでいた家の周りには美大予備校がありませんでした。だから、高校3年生の夏にバスケ部を引退した後、美術部に入部し、ほぼ独学で美大を目指し始めたのです。しかも、東京藝術大学1本しか受けないという、かなりエキセントリックな受験の仕方をしていまして…。というのも家が貧乏だったので、藝大以外の選択肢がなかったのです。そのため独学で勉強を始めた現役の時から、1浪目までは予備校に通う資金を貯めるために、アルバイトをしながら独学で勉強を続けました。そして、2浪目になり、やっと東京に出て予備校に通い始めました。当時はラーメン屋で夜遅くまで働いて、朝早くから予備校でデッサンを描く。そんな生活を続けていましたね。でも2浪目と3浪目でも藝大に合格することはできませんでした。
 
4浪目の時には、もう予備校に行くお金も残っていなかったため、一度大学進学をあきらめたのです。そしてスーパーのチラシをつくっているデザイン会社でアルバイトとして働き始めました。でも、その職場で佐藤可士和さんが手がけたグラフィックデザインを見る機会があって。それを見て「こんなに面白い仕事があるのか」と、とても感動したのを覚えています。

それがきっかけであきらめていた思いが再燃し、もう一度大学受験に挑戦することにしました。とはいえ、お金がない事実は変わらないので4浪目と5浪目は予備校には行かず、ほとんど自宅で石膏像をデッサンして過ごしていました。また藝大一本の受験をやめ、佐藤可士和さんの母校である多摩美術大学も受験することにしたのです。そして5浪目にようやく、多摩美術大学に合格し、入学することを決めました。

誰も登らない山こそ、登る価値がある

私は大学1年生の時から、すでに広告会社に入りたいと考えていました。大学2年生の時からCGを学び始めたのですが、その理由も就職を意識してのことでした。当時はまだCGを学ぶ人は多くなく、誰もやっていない分野を学ぶことは、自分のオリジナリティーを出すためにはうってつけであると考えたからです。もちろんそれ以外にも、単純にCGの分野が面白かったというのもありますが。

ほとんどの人はその時代の流行に合わせて作品をつくることが多いと思います。しかし、みんなが同じものばかりをつくっている中で一番になるのはかなり大変だと思います。比較される人が多いわけですからね。それよりも、登る人が少ない別の山に登ったほうが唯一無二の存在になれます。私の場合はそれがCGでした。自分の好きなCGという山になら登れそうだと思ったし、登ることで強力な武器を手に入れることができました。その道は厳しいかもしれませんが、その頂上には必ず価値のあるものが眠っていると思いますね。

学生時代の作品「新組体操」連作



若い人こそ、賞を目指せ

私は若い人たちに、賞に挑戦しましょうという話をよくします。なぜそんなことを言うのかというと、賞に挑戦することで、その時の自分のポジションを知ることができるからです。さらに、賞を取ると多くの人に自分のことを知ってもらえます。これはつまり、若い人ほどチャンスであるというわけなのです。自分よりも年上の人や遠くにいる人に、自分の存在を知ってもらえる可能性がある。コツコツと仕事で結果を出していくことも大切ですが、賞を獲得できると非常に大きな一歩を踏めるのです。それに、人は錯覚をする生き物です。何か一つ賞を取っただけでも「あいつはすごいらしいよ」と、周りが勝手に勘違いしてくれるのですよね。自分の存在感が増して、自分をアピールできる絶好のチャンスになりますから、若い人こそ賞を目指すことは断然おすすめですよ。

アートディレクターに求められる、制球力

これからの時代は、制球力の高いアートディレクターが求められてくると思います。1つの球だけでなく、様々な変化球を投げ分けられる方が、バランスが良いのではないかな。カッコいいものやお洒落なものをつくるだけではなく、ダサいものや馬鹿なもの、幅広いジャンルをデザインできるアートディレクター。そういう人になることができれば、たとえどのように時代が変化しても、適応していくことができるのでしょうね。

私は馬鹿なグラフィックをつくる機会が多かったのですが、最初の頃はすごく恥ずかしかったんですよ。こんなものをつくっているなんて、大きな声ではとても言えなかった。でも時代がどんどん変わってきて、逆に今はそういうものも求められる時代なのですよね。

私は常々、「アートディレクターをもっと拡張していきたい」と言い続けてきました。時代が目まぐるしく変化していくように、アートディレクターという職業自体も変化しています。具体的にいうと、表現のフィールドが細分化されているのです。アートディレクターが取り組む種目が増えているから、そこに対応できる柔軟性を身につけることは、とても大切な要素になると、私は考えています。

どんなに苦しくても、絶対にあきらめるな

学生の皆さんには、失敗や挫折を重ねて、ものすごく苦しい状況になっても、絶対にあきらめないでほしいと思います。受験や就職活動にはタイムリミットがあって、合格しなければ「失敗である」という線で区切られてしまいます。でも、それで終わりではないんです。自分が登りたい山があるのなら、その登り方は自由。第一志望に就職ができなくても、それ以外の会社でもアートディレクターにはなれるわけだし、目指す山があるのなら、別の登り方を見つけたらいいのです。「どうやったらその山の頂上に行けるのか」。その方法をひたすら考えながら、自分だけの新しい道を見つけていってください。今は昔以上に進める道がたくさんあります。先人のつくった轍(わだち)は気にせずに、自分を信じてみてください。

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