「自分に正直に」就活にも仕事にも活きる秘訣/クリエイティブディレクター・CMプランナー権八成裕の〈クリ活〉

「自分に正直に」就活にも仕事にも活きる秘訣/クリエイティブディレクター・CMプランナー権八成裕の〈クリ活〉

好評発売中の書籍『クリ活2 クリエイターの就活本』から派生して、さまざまな人のクリ活話をお聞きする本企画。今回は、クリエイティブディレクター・CMプランナーとして活躍する権八成裕(ごんぱなるひろ)さん。

権八さんは、新卒で電通に入社し、その後シンガタにてCMプランナーとして活躍。現在は独立されて、CMにとどまらず映画やテレビ番組の企画にも携わります。そんな権八さんですが、就職活動時には地上波キー局2社からも内定が出ていたそうで、図らずも当時志していた番組制作に携わることも。今回は権八さんに、人気企業から内定を獲得できた就活の秘訣や、仕事にも活きるスタンスについて語っていただきました。

写真:権八成裕さん
権八成裕さんゴンパ 代表取締役/クリエイティブディレクター・CMプランナー
1974年横浜生まれ。慶応義塾大学環境情報学部卒業。1998年電通入社後、2003年に電通の佐々木宏、博報堂の黒須美彦とシンガタ設立に参加。2019年ゴンパ設立。主な仕事に、BASE、WACK、サントリー「金麦〈ザ・ラガー〉」「ジャパニーズジン翠(SUI)」「-196℃ストロングゼロ」、LOVE POCKET FUND、ファミリーマート、ネスレ日本、amazon prime video、earth music&ecologyなど。稲垣吾郎・草彅剛・香取慎吾3人の「新しい地図」を命名&ブランディングし、映画『クソ野郎と美しき世界』を企画(共に多田琢・山崎隆明と共同)、AbemaTV『72時間ホンネテレビ』を作家として企画。TOKYO FMで毎週日曜24時『澤本・権八のすぐに終わりますから。』放送中。
【 目次 】
就職活動の方針は「うそなく正直に」
アウトプットを出す最後まで悩み続ける
自分の感覚に正直に、誠実に

就職活動の方針は「うそなく正直に」

『クリ活プランニング・コピーライティング編』編集長の尾上永晃さん(以下尾上):幼少期・青年期について教えてください。

ゴンパ権八さん(以下権八):
どちらかというと、クラスで輪の中心にいるような悪ガキでした。小学3年生のあるとき、なにか悪さをして先生に叱られたことがあったのを覚えています。教室で立たされて、大勢の前で「なんであんなことしたの?」と詰問されて、「みんなと同じことするのが嫌で違うことがしたかった」といったニュアンスのことを答えたら、怒っているはずの先生が一瞬ニコッとした。ほんの一瞬の出来事でしたが、自分のことを肯定してくれた気がして。あのときの先生の嬉しそうな表情はいまでも覚えていて、自分の人生に影響を与えた気がします。改めて振り返ってみると、「みんなと同じはいや」というのは、幼い頃から人一倍強かったような気もしますね。

小学校6年の時に最寄りのJR戸塚駅に日能研ができて親に勧められて入塾しました。最初はまったくついていけずチンプンカンプンでしたが、夜遅くまで教室に残って先生に質問し、わからないことがわかるようになるのが楽しくて、その1年は人生で一番勉強しました。みるみる成績が伸びて、中学受験で難関校に合格し、中学の3年間は成績もずっと上位で順風満帆でした。

中1の時、Guns N' Rosesがデビューして夢中になったのをきっかけに洋楽にハマりました。当時の深夜番組『ベストヒットUSA』(テレビ朝日系)を毎週録画してVHSが擦り切れるほど繰り返し観ていました。毎朝学校に行く前にビデオ再生して跳ねまくってから登校するほどに。幼稚園からピアノは習っていて音楽はずっと好きで、ご多分に漏れず、高校、大学とバンド組んでいました…恥ずかしいけど(笑)。中学は勉強も部活(サッカー部)も楽しく、優等生な学生生活でしたが、高校に上がると成績がわかりやすく急降下。いろいろな遊びを覚えてしまい、一切の勉強をやめてしまった。家も学校も神奈川でしたが、放課後わざわざ渋谷に繰り出して仲間とつるんだり、無駄に湘南方面へ行ったり、楽しくやっていましたね。

権八:振り返ると、なんとなく昔から自分の根幹にあるのはユーモアな気がします。仲間たちと遊ぶときはいつもウケを狙っていました。とにかく“笑えること”が至上、”面白いこと”が最上の価値みたいに思っていた。田舎の男子校でおおらかで自由な校風でぬくぬくと過ごして、漫画で言うと『行け!稲中卓球部』(講談社)みたいなノリの無駄でくだらない日々でした。後に、仲のいい4~5人のグループから僕の他にも日本テレビや電通に入社しました。

高校3年生になって大学受験で周りがピリついてきて、自分もギアを入れようとしたものの、身体が完全に堕落していてまったく机に向かえない。部屋にいるけど勉強はしないで、その免罪じゃないけれど、本を読んだり文章を書いたりしていました。三島由紀夫や太宰治や五木寛之を読んでは現実逃避。博覧強記な父がある時くれた『ライ麦畑でつかまえて』(白水社)も読みました。ご多分に漏れず、この話は自分のことだと驚いた記憶があります。

当然、現役での受験に失敗し、浪人することに。親に高いお金を出してもらって御茶ノ水の駿台の最難関コースに通います。しかしそれでもまったく勉強せず、予備校近くの公園でじっと考えごとをしていました。「なんのために勉強するのか? なんのために生きるのか?」ぐるぐると考え込み、自分と世界の接点について悩み続けました。ついには「生きる理由なんてないのでは?」とか思いつめてしまって…。それまでの楽しくのほほんとした人生から18歳で急に自我が芽生えたというか、自分と世界の関わりに耐えきれなくなってしまった。遅過ぎますよね。精神的に相当参っていた時期です。

そんなこんなで勉強はそっちのけ状態。成績はひたすら下降する一方でしたが、一浪の末、慶應義塾大学の環境情報学部(SFC)に運よく受かりました。試験科目が英語と小論文のみで、英語は昔の蓄積でなんとかしのげたのと、小論文のテーマが「あなたの生き方を書きなさい」という、まさに自分がずっと考え続けていたことだったのです。小論だから、最後の一行は「No. 1よりOnly1。これが自分の生きる道」みたいな言葉でわかりやすくまとめました。その10年後、SMAPの名曲『世界に一つだけの花』がヒットしたときは勝手に一人で恥ずかしくなっていました(笑)。

尾上:どんな大学生活を送っていましたか?

権八:
あんなに悩んでいた日々が嘘のように、大学ではまた脳を1ミリも動かさず、ひたすら軟派なバイトと遊びに明け暮れてしまいました。エンタメの接点でいうと、当時、テレビ東京の『アサヤン』というオーディション番組があって、友人が内緒で僕の履歴書を勝手に応募して合格して出演しました。その後も演出家のテリー伊藤さんに呼ばれてテレ東の深夜番組『少年バッド』にも出ました。今より体重が40キロぐらい軽い時代の遠い思い出です(笑)。テレビに出るのは楽しかったけれど、遊び気分だったし、むしろ裏方に興味が湧きました。

その後、大学2年生のときに、3年生の友人が「こういうの、お前好きだろ?」と「電通クリエーティブ塾(クリ塾)」(今の電通インターンシップの前身)の募集のチラシを見せてくれました。「想像は形になりたい。映像クリエイター募集」と書いてあり、「どんな会社か知らないけれども面白そうじゃん」と興味が湧きました。試しにみんなで受けて自分は運よく合格。半年ぐらい通い、最終プレゼンで優勝して、「あー楽しかった」といった印象で終わりました。1年後、大学3年生のとき「クリ塾のアルバイトをしないか?」と電通から声がかかり、運営の手伝いをしながら自分も課題に取り組みました。「やっぱり人を笑わせたり驚かせたりするのは楽しいなぁ」とぼんやり思いながら、周りの友人たち同様に就職活動はテレビ局からスタート。当時の放送業界の人気は凄まじく、数万人のエントリー数に対して内定者は二十数人という狭き門。最初から宝くじみたいな感覚でした。過酷な面接を経て、運よく地上波キー局2社から内定を頂きました。その後、クリ塾から「電通も受けないか?」 と誘われ、選考に進んで内定に至りました。

尾上:複数の人気企業から内定を獲得していますが、就職活動で意識したことはなんだったのでしょう?

権八:僕らの学年は団塊ジュニア世代で学生の数が尋常ではないくらい多い。景気も悪く、就職氷河期という言葉ができた頃です。就活で迷いなくやれたのは、振り返ってみると、開き直って「正直にやる」という方針だったからかもしれません。当時、流行っていた就活本を大学生協で立ち読みしたら、あまりにもつまらな過ぎて読めなかった。とはいえ、指針もなかったので、クリ塾の友人で就職浪人していたメンバーに、去年の反省点を聞いたら「自分を大きく見せようとして、嘘をついたこと」だと教えてくれました。それを聞いて、自分も「嘘なく正直に」の一本足打法でいくと決めました。正直に答えすぎて(「御社は滑り止めです」と笑顔で言ってしまったりして)落ちたところもありましたが、面白がって合格にしてくれる会社もありました。ちなみにその彼も日本テレビに入りました。

キー局2社と電通でどこに入るか悩みに悩みました。自分の考えたことを形にしたい。どこに入っても楽しそう。電通でCMをやるのか、某局でバラエティをやるのか、別の局でドラマをやるのか…。そのようななか、電通のクリ塾の塾長の小田桐昭さんから「君に会わせたい人がいる」と言われて電通に行くと、そこに岡康道さんがいました。岡さんに「15秒のCMで人の心をつかむ技術を習得したら2時間のドラマはつくれる」「官僚と電通なら悩むが、今のお前の悩みは小さい。俺と一緒にやろう」的な、今思うとだいぶ乱暴なプレゼンですが、当時は「意味不明だけど凄い!」と思ってしまった。顔もかっこいいし岡さんの魅力にすっかりのぼせて。ものづくりに真摯(しんし)で繊細な面と、それとは裏腹な豪快でギラついた悪の匂いも感じて「抱かれてもいい」と(笑)。「この人と仕事したい」と思いましたね。



アウトプットを出す最後まで悩み続ける

尾上:電通、そしてシンガタ時代のことを教えてください。

権八:電通に入社してからの5年間は本当に楽しかったです。優秀で愉快な先輩、同期、後輩たちに恵まれ、なんのストレスもなく毎日ゲラゲラ笑って過ごしていました。ブレイクスルーしたかわかりませんが、入社1年目に朝日広告賞でグランプリを獲得しました。この受賞を機に社内で名前が売れ、声をかけてもらえるようになりました。生意気にも「広告がつくりたいわけではない、自分が面白いと思うものをつくる」とか言って企画を出し続けていました。ビッグマウスの若者を見ると、当時の自分の姿と重なり、恥ずかしくて嫌な気持ちになります(笑)。

岡さんと同じ第4クリーティブ局に配属でしたが、入社1年目の夏に呼び出され「ゴメン、来年、俺、辞めるわ」と言われたときはショックで…。岡さんの荷物をタグボートに運びながら「お前も3年後、力をつけたら来い」と言われて、その3年後、そろそろ岡さんに呼んでもらえるかな? と思っていた矢先、岡さんではなくて岡さんの元上司の佐々木宏さんに声をかけられました(笑)。一緒に電通を辞めて会社をつくろうと。過去に一度佐々木さんと仕事した際にとても自由で楽しく、求められている場所へ行くスタンスなので即決しました。ただ、ここからが苦行の始まりでした…。

シンガタ時代を振り返ると、広告の基本をゼロから叩き込んでもらって鍛えられた気がします。ただ正直なところ、最初の数年はものすごくつらかった(笑)。そもそも佐々木さんから「電通と違って、シンガタでは広告に限らず、自由にやっていいよ」と誘われて行ったのに、広告の仕事以外ほぼなく、全然自由にやらせてもらえない(笑)。不運なことに、手続き上の手違いで最初の数年は電通時代より給料も下がってしまって…。佐々木さんもシンガタを成功させるために必死だっただろうし、「広告は世のため人のため(クライアントのため)のもの」といった考え方だった。対して、まだ20代で若かった僕はどこか仕事は自分が面白いことを実現する場所といったぬるい考えもあり、そもそもの約束と違う…と日々思っていました(笑)。でも愚痴っていてもしょうがないし、毎回、クライアントと佐々木さんとビッグタレントと、各々の制約や課題をかなえるべく、徹夜なんて当たり前で企画を何十案も考えてはいちいち検証しまくる、そんな日々が続きました。大変でしたけど、今、どんな球が来ても動じないのは、そんな過酷な日々を過ごしてきたからかもしれません。

シンガタでも、たまに佐々木さんや黒須美彦さんを挟まない仕事もありました。シンガタ7年目に声をかけていただいたearth music&ecologyや、僕の仕事やインタビューを学生の時から見てくれていた渡辺淳之介代表が声をかけてくれたWACK(BiSHや豆柴の大群等の事務所)や、Family Martなどですかね。『新しい地図』の命名や立ち上げも非常に印象深い仕事となりました。



尾上:独立してからはどうですか?

権八:2019年にゴンパという会社を立ち上げました。シンガタ時代は20歳以上も年の離れたクリエイティブディレクター(CD)の佐々木さんと黒須さんがずっと上にいて、17年間、後輩や部下が入ってこなくて自分は常に一番下っ端、末っ子みたいな意識がありましたね。仕事もCMプランナー(PL)の意識が強かったですが、独立前からCDとしての仕事も増えて、独立後の新規の仕事は、ほぼCD兼PLです。広告以外の仕事も増えてきたし、今後さらにフィールドを広げていきたいと思っています。

自分の仕事は一言で表すと「企画」。それはひたすら考えることです。一人でブレストをして、その中からこれだ! というものを見つけていく過程が苦しくも楽しくもある。答えが一つではないから面白いし、そう思っているからどんどんアイデアは湧いてくる。企画を考える際は、「こうじゃない」「前にあったかも」「ありきたりだ」「もっとあるはず」という“否定のエンジン”を常に自分に向けてかけている気がします。企画ができてからも「みんなびっくりするかな、面白いと思ってくれるかな」と常に自問自答しながら、ずっと悶々としていますね。

打ち合わせでのスタッフの反応や、プレゼンでのクライアントの皆さんの反応から、初めてようやくかすかな自信が湧いてくる。けれども、クライアントが喜んで、どの案を採用するか決まってからも、果たして本当にこれでいいのかと悩み続けます…。本当に世の中で、大勢の人に喜んでもらえるか、改善できるところはないか、アウトプットするギリギリまで粘り続けています。それは完璧主義な性格もあるし、片時も気を抜けない日々を何年も過ごしてきた習慣みたいな面もあるかもしれません。

自分の感覚に正直に、誠実に

尾上:学生へメッセージをお願いします。

権八:偉そうに言えることはなにもないです。けれども、もし、やりたいことが見つかっていない場合、人から言われたことをやってみるのもありだと思います。自分に向いている仕事なんてわからないですよ。僕だっていまだにわからない。自分自身より周りの人ほうが冷静に見えていることも多々あります。学生時代に、今の仕事につながるクリ塾の門を叩くきっかけもチラシを持ってきたくれた友人でした。彼が勧めてくれなければ今の自分はなかった。ちなみに自分が広告の仕事に向いているなんて思ったことはないですけどね(笑)。自分がやりたい仕事は特段なく、きた仕事がやるべき仕事と思っています。自分にとってはearth music&ecologyなどがそうですね。最初は、若い女の子向けのしかもファッションの仕事をなぜ僕に? と驚きました。でも、結果的にはとてもうまくいき、10年以上も続く仕事になりました。偶然の出会いも大事な気がします。

もう一つは…昨今は、情報というか雑音が多すぎる時代ですよね。いろいろな情報を集めるのも大事だけれど、あんまり威勢のいい空疎な言葉に惑わされずに、自分の内なる声に耳を傾け、己の野望や情熱と素直に向き合うことが大切だと思います。電通の3年目。僕が先輩を離れて初めて一本立ちした時の話です。ミンティアの競合プレゼンで、デビューしてすぐに大人気になった爽やかイケメン俳優の反町隆史さんが、ミンティアを食べると頭が吹っ飛んで、新しい頭が生えてくるという案をプレゼンしました。当時のクライアントの宣伝部長はカンカンに怒っていましたが、社長は冷静な態度を貫いていました。この案をどうにか実現させたいと思い、悩みに悩んで、クライアントの社長に手紙を書きました。自分の感覚に正直に誠実にいこうと考え、行動に移しました。これが奏功したのかどうかわかりませんが、結果、競合プレゼンに勝利し、僕のデビュー作のそのCMは無事に制作、放送されました。「頑張っていれば誰かが見てくれている」と信じて、ボロカスに否定されても真摯(しんし)な態度で最善を尽くす。自分にできることはそれしかない気がします。今、同じことやるかと聞かれたらやらないと思いますが(笑)。

尾上:権八さんが考える「広告の仕事」とは?

権八:もちろんチームプレイだし、いろいろなセクション、いろいろな才能や努力の結集で成り立っているのだけれど、最も核にある部分は、個々のパーソナリティーで突破する仕事のような気がします。いろんな運やめぐり合わせもあるけれど、自身の正直な思いや生きざま(というと大袈裟だけど)を込めたときに、うまくいけば世の中がわっと沸いて大きな反応が得られることがあります。これが広告のダイナミズムで、醍醐味です。

それと同時に、普通の人からしたら広告なんて所詮はどうでもいいものだし必要ないものですよね。ついつい肩に力が入りすぎて、血眼になって本気でつくり過ぎてしまうのですが、どこかで、「所詮は広告。みんなにとってクソどうでもいい迷惑なもの」くらいの認識で、仕事とはいえどこか「遊び」感覚の意識も忘れずに持っていたいですよね。そうでないと、みんなが喜ぶものなんてつくれないのではないでしょうか。すみません、正直にいうと、今回振り返って改めて思ったのですが、単純に、どうしても僕、遊びや楽しいことが好きみたいなんです(笑)。







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